「土佐日記」は平安時代を代表する文学作品のひとつで、その冒頭部分「門出」は日本の古典文学の中でも特に有名な一節です。この部分には、旅立ちの様子や作者の心情が見事に描かれています。
「門出」という言葉には、新しい場所や状況へ向かう「旅立ち」という意味があります。土佐日記では、国司として赴任していた土佐国から都(京都)への帰路の出発場面を描いており、まさに旅の始まりを表しています。
ところが、この「門出」の場面は単なる出発の記録ではありません。作者の感情や心の揺れ動き、周囲の人々との交流、そして旅への期待と不安が凝縮されているのです。しかも、平安時代の男性貴族である紀貫之が、あえて女性の視点で書いているという非常に興味深い特徴があります。
古文が苦手な人でも、この記事を読めば「土佐日記 門出」の内容や魅力が理解できるはずです。原文と現代語訳はもちろん、登場人物の心情解説、テスト対策のポイントまで詳しく解説していきます。
1分でわかる!「土佐日記 門出」ってどんな話?
平安時代の歌人・**紀貫之(きのつらゆき)**が、「男なのに女のふりして」書いたのがこの『土佐日記』。「門出」はその最初の部分で、国司として赴任していた土佐国から都への帰り道を描くスタートシーンです。
土佐日記の冒頭では、まず「男も女の書くような日記というものを書いてみようと思う」と述べ、なぜ男性が女性のフリをして日記を書くのかという興味深い設定を明かしています。そして日記の形式で記述が始まり、土佐を出発する年月日が記されます。
門出の場面では、土佐の国から船で都へ向かう一行の様子が描かれています。出発の日、作者は「泣くまじき人々も、みな泣きぬべし」(泣くべきではない人々も、皆泣いてしまいそうだ)と述べていますが、結局自分自身も涙を流してしまいます。それを同行者にからかわれる場面は、この作品の人間味あふれる魅力を示しています。
旅立ちの寂しさや別れの悲しみ、そして新たな旅への期待と不安—これらの普遍的な感情がたった数行の文章の中に巧みに表現されているのです。また、女性的な感性で描かれることで、より繊細な心の動きが伝わってくるのも特徴です。
まさに「門出」という言葉にふさわしい、人生の新たな一歩を踏み出す瞬間を捉えた名場面なのです。
超簡単に!秒でわかる!「土佐日記 門出」ってどんな話?
作者はガチで男。でもこの日記では女のふりしてるのよ(なにそれ斬新)👩🦰
土佐から都へ帰るってことで、いよいよ船出!🚢 でも出発前に「泣いたらダサいよね」とか言いつつ、実はめちゃくちゃ泣いてるの、しかもバレてるのよwww 旅の始まりにして、もう感情ジェットコースター🎢
マジ簡単に言うと、これって紀貫之の土佐勤務終了→都へ帰る出発の日のお話。平安時代のお役人の引っ越し日記みたいな?でも普通の日記じゃなくて、男なのに「あたし、女子〜♪」って設定で書いてるから超ユニーク!
当時のVIP(貴族)は感情表現とか恥ずかしがるタイプなんだけど、ここでは「泣くなよ〜」って言いながら、自分が一番泣いちゃってるの。そしたら周りに「先生、泣いてるじゃん」ってバレて赤っ恥!っていう超リアルな人間ドラマよ🤣
「門出」ってタイトルだけど、実は新しい人生への第一歩を踏み出す瞬間を切り取った名シーンなの。平安時代のリアルな気持ちが伝わってくるから、古文っぽさ全然ないよね?テスト前に覚えとくと超役立つし!
【原文】土佐日記 門出|”女のふりした男”が描いた旅立ちの情景
『土佐日記』の「門出」は、平安時代の文学の中でも非常に特徴的な冒頭部分です。まず、原文を見てみましょう。
男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。
それの年の師走の二十日あまり一日の日の午の時に、門出す。かどではるかなり。それの日は、文書きつくして車に乗るれど、なほ、物言ひともなく、いそぎたつ心地のみして、例のごとくすすめたれば、綱手引く人もあへず、舟子どももさわげど、かぢとりもののゆゑしれる人もなければ、えこがず。かかれどつつがなくて、いほりに泊りぬ。かうやうに、おどろおどろしく暮れざらずと思へど、なにしにそこにこもらむ。
またの日、黒き雲おほかれど、「風いささかあり。沖辺はいかなるらむ」と言へど、知らず顔にて、みな乗りて漕ぎ出づ。男も女も、おくる人も、おくられ行く人も、みなおなじごとや思ふらむ、「とまるとまらぬかたへだに行きなむ」と思へり。まことに別れがたく、「しばし、しばし」と言ひて、漕ぎ行くほど、「わすれがたみせむ」「なにをか」と言ひし人は、「泣くまじき人々も、みな泣きぬべし。これをわすれがたみにせよ」と言ふ。「我は泣かじ」と言ひし人も、人知れず涙をのごひつつ、「忘れがたみにはなにかせむ」と言ふも、顔のいとあかかりければ、おかしげなり。さて、おくる人は、帰りぬ。
この原文から、女性の視点で書かれた旅立ちの情景が生き生きと伝わってきます。単なる旅の記録ではなく、別れの情景や作者自身の感情が繊細に描かれています。
何よりも特徴的なのは、冒頭の「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」(男も書くような日記というものを、女もやってみようと思って書くのである)という一文です。実際には男性である紀貫之が、女性になりきって書いているという設定を明かしているのです。
この「門出」の場面は、単なる出発の記録ではなく、別れの悲しみや旅立ちへの決意、人間的な弱さなどが織り込まれた、非常に感情豊かな描写となっています。
【現代語訳】いちばんやさしい訳で読んでみよう
原文を一つ一つ丁寧に現代語に訳していきましょう。
男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。
男性もつけている「日記」というものを、(今回は)女性である私も試しにつけてみようと思って書くのです。
それの年の師走の二十日あまり一日の日の午の時に、門出す。かどではるかなり。
その年の12月21日の午の刻(正午頃)に、出発しました。出発の様子は壮大でした。
それの日は、文書きつくして車に乗るれど、なほ、物言ひともなく、いそぎたつ心地のみして、例のごとくすすめたれば、綱手引く人もあへず、舟子どももさわげど、かぢとりもののゆゑしれる人もなければ、えこがず。
その日は、文書(公務に関する書類)を書き終えて車に乗りましたが、まだ何も話す気にもならず、急いで出発する気持ちだけでいたので、いつものように(出発を)促したところ、綱を引く人も(準備が)間に合わず、船頭たちも騒いでいるけれど、舵を取る理由を知っている人もいないので、漕ぎ出すことができませんでした。
かかれどつつがなくて、いほりに泊りぬ。かうやうに、おどろおどろしく暮れざらずと思へど、なにしにそこにこもらむ。
しかし、(結局は)無事に仮小屋に泊まることになりました。このように、あわただしく日が暮れないようにと思っても、どうして(わざわざ)そこに留まるのでしょうか。
またの日、黒き雲おほかれど、「風いささかあり。沖辺はいかなるらむ」と言へど、知らず顔にて、みな乗りて漕ぎ出づ。
翌日、黒い雲が多かったけれど、「風が少しあります。沖の方はどうなっているでしょうか」と(船頭が)言っても、(私たちは)知らないふりをして、みんな船に乗って漕ぎ出しました。
男も女も、おくる人も、おくられ行く人も、みなおなじごとや思ふらむ、「とまるとまらぬかたへだに行きなむ」と思へり。
男も女も、見送る人も、見送られて行く人も、みな同じことを思っているのだろうか、「(せめて)見える見えないところまでだけでも行こう」と思っているようでした。
まことに別れがたく、「しばし、しばし」と言ひて、漕ぎ行くほど、「わすれがたみせむ」「なにをか」と言ひし人は、「泣くまじき人々も、みな泣きぬべし。これをわすれがたみにせよ」と言ふ。
本当に別れがたく、「もう少し、もう少し」と言いながら漕いで行く間に、「忘れ形見をあげよう」「何をですか」と言った人に対して、「泣くべきではない人々も、みな泣いてしまいそうだ。これを忘れ形見にしなさい」と(誰かが)言いました。
「我は泣かじ」と言ひし人も、人知れず涙をのごひつつ、「忘れがたみにはなにかせむ」と言ふも、顔のいとあかかりければ、おかしげなり。さて、おくる人は、帰りぬ。
「私は泣かないよ」と言った人も、こっそり涙をぬぐいながら、「忘れ形見には何をしよう」と言っていましたが、顔がとても赤かったので、おかしそうでした。そして、見送る人たちは、帰っていきました。
この現代語訳からわかるように、「門出」の場面は単なる出発の記録ではなく、別れを惜しむ人々の様子や作者自身の感情が細やかに描かれています。特に最後の部分では、「泣かない」と言いながらも実際には泣いている人の姿が描かれており、その人間味あふれる描写が平安時代の文学の魅力を伝えています。
文ごとのポイント解説|意味と情景をつかもう
「土佐日記 門出」の原文を、文ごとに詳しく解説していきましょう。文法や語句の意味を理解することで、古文の内容がより深く理解できるようになります。
① 「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。」
【ポイント】
- 「すなる」 → 「する」の連体形に助動詞「なり」が接続した形。「している」の意味。
- 「してみむとて」 → 「して」(し+て)+「みむ」(み+む)+「とて」。「試しにやってみようと思って」の意味。
- 「するなり」 → 「する」+断定の助動詞「なり」。「するのである」の意味。
この冒頭文は、この作品の最大の特徴を表しています。実際には男性である紀貫之が、女性になりきって日記を書くという設定を明かしているのです。当時、男性の文章は漢文体、女性の文章は仮名文体が一般的だったことから、男性である紀貫之が、あえて女性の文体(仮名文)で書くという実験的な試みを行ったことがわかります。
② 「それの年の師走の二十日あまり一日の日の午の時に、門出す。」
【ポイント】
- 「それの年」 → 「その年」の意味。
- 「師走」 → 12月のこと。
- 「二十日あまり一日」 → 「二十一日」の意味。
- 「午の時」 → 正午頃。平安時代の時刻制度では、一日を十二等分し、「午」は現在の午前11時から午後1時頃に相当。
- 「門出す」 → 「出発する」の意味。
ここでは具体的な日時が記されており、日記としての形式を整えています。12月21日の正午頃に出発したという具体的な情報が提供されています。
③ 「かどではるかなり。」
【ポイント】
- 「かどで」 → 「門出」のこと。出発の様子。
- 「はるかなり」 → 「はるか」+断定の助動詞「なり」。「壮大である」「盛大である」の意味。
出発の様子が盛大であったことを表現しています。多くの人々が見送りに来ていたり、準備が大がかりであったりしたことが想像できます。
④ 「それの日は、文書きつくして車に乗るれど、なほ、物言ひともなく、いそぎたつ心地のみして、例のごとくすすめたれば、綱手引く人もあへず、舟子どももさわげど、かぢとりもののゆゑしれる人もなければ、えこがず。」
【ポイント】
- 「文書きつくして」 → 「文書き」+「つくして」。公文書を書き終えて。
- 「なほ」 → 「まだ」「それでも」の意味。
- 「いそぎたつ心地」 → 「急いで立つ気持ち」の意味。
- 「例のごとく」 → 「いつものように」の意味。
- 「綱手引く人」 → 船を引く綱を引く人。
- 「あへず」 → 「間に合わない」の意味。
- 「舟子」 → 船頭のこと。
- 「さわげど」 → 「騒いでいるけれど」の意味。
- 「かぢとりもののゆゑしれる人」 → 「舵取りの理由を知っている人」の意味。
- 「えこがず」 → 「漕ぎ出すことができない」の意味。
この長い文では、出発準備の混乱した様子が描かれています。書類仕事を終えて急いで出発しようとしたものの、船の準備が整わず、適切に舵を取れる人もいないため、すぐには出発できないという状況が詳細に描写されています。
⑤ 「かかれどつつがなくて、いほりに泊りぬ。」
【ポイント】
- 「かかれど」 → 「そうではあるが」「しかし」の意味。
- 「つつがなくて」 → 「無事に」「何事もなく」の意味。
- 「いほり」 → 「仮小屋」「仮設の宿」の意味。
- 「泊りぬ」 → 「泊まった」の意味。
出発の混乱はあったものの、結局は無事に仮小屋に一泊したことを述べています。「ぬ」は完了を表す助動詞です。
⑥ 「かうやうに、おどろおどろしく暮れざらずと思へど、なにしにそこにこもらむ。」
【ポイント】
- 「かうやうに」 → 「このように」の意味。
- 「おどろおどろしく」 → 「あわただしく」「慌ただしく」の意味。
- 「暮れざらず」 → 「暮れ」+打消しの助動詞「ず」の未然形+「らず」。「日が暮れないように」の意味。
- 「なにしに」 → 「どうして」「なぜ」の意味。
- 「こもらむ」 → 「こもる」+推量の助動詞「む」。「留まるのだろうか」の意味。
あわただしく日が暮れないようにと思いながらも、なぜわざわざその場所に留まるのだろうかという作者の疑問が表現されています。急いで出発したいという気持ちが表れています。
⑦ 「またの日、黒き雲おほかれど、「風いささかあり。沖辺はいかなるらむ」と言へど、知らず顔にて、みな乗りて漕ぎ出づ。」
【ポイント】
- 「またの日」 → 「翌日」の意味。
- 「黒き雲おほかれど」 → 「黒い雲が多いけれど」の意味。
- 「いささか」 → 「少し」の意味。
- 「沖辺」 → 「沖の方」の意味。
- 「いかなるらむ」 → 「いかなる」+推量の助動詞「らむ」。「どうなっているだろうか」の意味。
- 「知らず顔」 → 「知らないふり」の意味。
翌日の出発の様子を描いています。天候は良くないようですが、船頭の警告を無視して出発するという旅への強い意欲が表現されています。
⑧ 「男も女も、おくる人も、おくられ行く人も、みなおなじごとや思ふらむ、「とまるとまらぬかたへだに行きなむ」と思へり。」
【ポイント】
- 「おくる人」 → 「見送る人」の意味。
- 「おくられ行く人」 → 「見送られて行く人」の意味。
- 「おなじごと」 → 「同じこと」の意味。
- 「思ふらむ」 → 「思ふ」+推量の助動詞「らむ」。「思っているだろうか」の意味。
- 「とまるとまらぬかた」 → 「見えるか見えないかという場所」の意味。
- 「行きなむ」 → 「行く」+希望・意志の助動詞「なむ」。「行きたい」の意味。
別れを惜しむ人々の気持ちが描かれています。男女問わず、見送る人も見送られる人も同じ気持ちなのではないかという共感の視点が示されています。
⑨ 「まことに別れがたく、「しばし、しばし」と言ひて、漕ぎ行くほど、「わすれがたみせむ」「なにをか」と言ひし人は、「泣くまじき人々も、みな泣きぬべし。これをわすれがたみにせよ」と言ふ。」
【ポイント】
- 「別れがたく」 → 「別れがたい」の意味。「別れるのが辛い」。
- 「しばし」 → 「少しの間」「もう少し」の意味。
- 「わすれがたみ」 → 「忘れ形見」の意味。「思い出の品」。
- 「せむ」 → 「する」+意志の助動詞「む」。「しよう」の意味。
- 「なにをか」 → 「何を」+疑問の係助詞「か」。「何をですか」の意味。
- 「泣くまじき」 → 「泣く」+禁止の助動詞「まじ」の連体形。「泣くべきではない」の意味。
- 「泣きぬべし」 → 「泣き」+完了の助動詞「ぬ」+推量の助動詞「べし」。「泣いてしまうだろう」の意味。
別れを惜しむ感情が具体的な会話として描かれています。「忘れ形見」をあげようという申し出に対して、「泣くべきではない人々も皆泣いてしまうだろう」と返す様子から、**感情の高ぶり**が伝わってきます。
⑩ 「「我は泣かじ」と言ひし人も、人知れず涙をのごひつつ、「忘れがたみにはなにかせむ」と言ふも、顔のいとあかかりければ、おかしげなり。さて、おくる人は、帰りぬ。」
【ポイント】
- 「泣かじ」 → 「泣く」+打消しの助動詞「じ」。「泣かないよ」の意味。
- 「人知れず」 → 「人に知られないように」「こっそりと」の意味。
- 「のごひつつ」 → 「ぬぐいながら」の意味。
- 「なにかせむ」 → 「何か」+疑問の係助詞「か」+「する」+意志の助動詞「む」。「何をしようか」の意味。
- 「いとあかかりければ」 → 「いと」(とても)+「あかかり」(赤い)+「ければ」(~なので)。「とても赤かったので」の意味。
- 「おかしげなり」 → 「おかしげ」(おかしそう)+断定の助動詞「なり」。「おかしそうだ」の意味。
「泣かない」と言いながらも、実際には涙をぬぐっているという言動の不一致が描かれています。その様子を「おかしげなり」(おかしそうだ)と評しているのは、作者のユーモアのセンスが表れています。そして最後に、見送る人々が帰っていく様子で締めくくっています。
これらの文法や語句の解説を理解することで、「土佐日記 門出」の内容がより深く味わえるようになります。特に注目すべきは、女性の視点から描かれることによる感情表現の豊かさと、旅立ちという「門出」の場面における人間的な感情の機微です。
【人物解説】紀貫之|女性になりきって日記を書く理由とは?
「土佐日記」の作者である**紀貫之(きのつらゆき)**は、平安時代中期の貴族であり、日本を代表する歌人のひとりです。彼について、そして彼がなぜ「女性になりきって日記を書いた」のかを詳しく解説します。
紀貫之のプロフィール
- 生没年: 紀貫之は872年頃に生まれ、945年頃に亡くなったとされています。
- 官職: 藤原時平に仕え、勅撰和歌集『古今和歌集』の編纂に携わりました。その後、土佐国(現在の高知県)の国司(地方行政官)を務めました。
- 業績: 『古今和歌集』の編纂と「仮名序」の執筆、『土佐日記』『伊勢物語』などの作品により、和歌・散文両方で高い評価を受けています。特に『古今和歌集』の「仮名序」は、日本の文学理論の嚆矢として重要視されています。
- 歌人としての評価: 「六歌仙」(平安時代前期の代表的な六人の歌人)の一人として数えられています。
女性になりきって日記を書いた理由
紀貫之が「土佐日記」を女性の視点で書いた理由については、いくつかの説があります。
- 文体の実験: 当時、公的な文書や男性の日記は漢文体で書かれるのが一般的でした。一方、女性は教養として漢文を学ぶ機会が少なかったため、仮名文(平仮名を使った文章)で日記や物語を書くことが多かったのです。貫之は、漢文に通じていながらも、あえて仮名文を使うことで、新しい日本語の文学表現を模索したと考えられています。
- 感情表現の豊かさ: 漢文体は格式張った堅苦しい表現が多く、個人の感情を繊細に表現するのには適していない面がありました。一方、仮名文体は感情表現が豊かで、より率直に心情を描写することができました。女性の視点を採用することで、貫之はより自由に感情を表現することができたのです。
- 文学的な装置: 自分自身を「女性」という別の人格に託すことで、客観的な視点を確保し、また当時の文学的慣習から自由になるための手法であったと考えられています。これは現代で言うところの「語り手」を設定する手法に近いものです。
- 私的な記録としての性格: 公的な記録ではなく、個人的な旅の記録として書かれた「土佐日記」。漢文体を使うと公的な色彩が強くなるため、あえて女性の視点を採用することで、私的な記録という性格を強調した可能性も考えられます。
いずれにせよ、紀貫之が女性になりきって日記を書いたことは、日本文学史上でも画期的な文体実験でした。これにより、後の「蜻蛉日記」「和泉式部日記」「更級日記」「紫式部日記」などの女性による仮名日記文学の発展にも大きな影響を与えました。
「門出」の場面では、この女性の視点を通じて、別れの悲しみや旅立ちの不安といった感情が、非常に繊細かつ豊かに表現されています。男性貴族である紀貫之が直接表現しづらかった感情の機微が、女性という「仮面」を通して生き生きと描かれているのです。
【紀貫之】感情が漏れた「泣くな」と言いつつ泣いちゃった理由
「土佐日記」の「門出」の場面で、紀貫之は興味深い心理描写を行っています。特に注目すべきは、「泣くまじき人々も、みな泣きぬべし」(泣くべきではない人々も、みな泣いてしまうだろう)と言いながら、実際には自分自身が「人知れず涙をのごひつつ」(こっそり涙をぬぐいながら)泣いているという場面です。この矛盾した行動には、どのような心理が隠されているのでしょうか。
作者の立場と心情
紀貫之は土佐国の国司として4年間赴任していました。国司は地方の行政を担当する役人で、任期が終われば都に戻るのが通例でした。貫之の場合、次のような心情があったと考えられます:
- 公人としての立場: 国司という公的な役職を終えて帰京する立場にあった貫之。公の場では感情を表に出さず、冷静さを保つことが求められていました。特に平安時代の貴族社会では、過度な感情表現は上品ではないとされていました。
- 私人としての感情: しかし一方で、4年間を過ごした土佐の人々との別れは、実際には感傷的な思いがあったはずです。また、海路での帰京には危険が伴うため、旅への不安もあったでしょう。
- 矛盾する心理: このように、公的な立場と私的な感情の間で葛藤していた貫之。「泣くべきではない」という理性と、実際に湧き上がる感情との間で揺れ動いていたと考えられます。
「泣いた」理由
貫之が涙を流した理由としては、以下のようなことが考えられます:
- 別れの情: 4年間の任期中に築かれた土佐の人々との絆。その人々との別れを惜しむ気持ちが、理性では抑えきれないほど強かった。
- 旅立ちの不安: 当時の海路は危険が多く、航海の安全への不安があった。特に「黒き雲おほかれど」(黒い雲が多い)と天候も良くない中での出発だったため、不安は一層強かったと思われます。
- 帰京への複雑な思い: 長い地方勤務を終えて都に戻るという節目の時。期待と緊張、そして土佐での生活への名残惜しさといった複雑な感情が入り混じっていたでしょう。
- 真情の表出: 「女性」という仮面を通して描くことで、男性貴族としては表現しづらい本音の感情を吐露することができた。
「おかしげなり」の意味
最後に、自分が涙を流している様子を「顔のいとあかかりければ、おかしげなり」(顔がとても赤かったので、おかしそうだった)と評していることも興味深いです。これは:
- 自己客観視: 自分自身の取り乱した様子を、冷静に観察し、ユーモアを込めて描写している。
- 感情の捉え方: 悲しみや不安といった感情に飲み込まれるのではなく、それを一歩引いた視点から相対化しようとする姿勢が見られる。
- 文学的技巧: 読者を感情的に巻き込みつつも、一定の距離感を保った語りの手法として機能している。
「門出」の場面で描かれたこの心理描写は、平安時代の公私の区別や感情表現の在り方を示すとともに、千年以上経った今でも共感できる普遍的な人間の感情を描き出しています。紀貫之は女性の視点を借りることで、より自由に、より真実に近い形で、旅立ちの瞬間の心の揺れを表現することに成功したのです。
テストに出る語句・問題まとめ
「土佐日記 門出」は中学・高校の古文の授業でよく取り上げられる題材です。テスト対策のために、重要な語句や頻出問題についてまとめておきましょう。
よく出る古語と意味
「土佐日記 門出」の中でよく出題される古語とその意味を整理しました。テスト前にしっかり覚えておきましょう。
古語 | 意味 | 例文 |
---|---|---|
すなる | している | 男もすなる日記といふものを |
~とて | ~と思って、~というつもりで | してみむとてするなり |
師走 | 十二月 | それの年の師走の二十日あまり一日 |
かどで | 門出、出発 | かどではるかなり |
はるかなり | 壮大である、盛大である | かどではるかなり |
なほ | まだ、それでも | なほ、物言ひともなく |
いそぎたつ | 急いで出発する | いそぎたつ心地のみして |
あへず | 間に合わない | 綱手引く人もあへず |
かぢとり | 舵取り | かぢとりもののゆゑしれる人もなければ |
えこがず | 漕ぎ出すことができない | かぢとりもののゆゑしれる人もなければ、えこがず |
つつがなく | 無事に、何事もなく | かかれどつつがなくて |
いほり | 仮小屋、仮設の宿 | いほりに泊りぬ |
おどろおどろしく | あわただしく、慌ただしく | おどろおどろしく暮れざらずと思へど |
こもらむ | 留まるのだろうか | なにしにそこにこもらむ |
いささか | 少し | 風いささかあり |
いかなるらむ | どうなっているだろうか | 沖辺はいかなるらむ |
おくる | 見送る | おくる人も |
おくられ行く | 見送られて行く | おくられ行く人も |
とまるとまらぬかた | 見えるか見えないかという場所 | とまるとまらぬかたへだに行きなむ |
しばし | 少しの間、もう少し | しばし、しばしと言ひて |
わすれがたみ | 忘れ形見、思い出の品 | わすれがたみせむ |
泣くまじき | 泣くべきではない | 泣くまじき人々も |
泣きぬべし | 泣いてしまうだろう | みな泣きぬべし |
泣かじ | 泣かないよ | 我は泣かじ |
のごひつつ | ぬぐいながら | 人知れず涙をのごひつつ |
いと | とても | 顔のいとあかかりければ |
おかしげなり | おかしそうだ | おかしげなり |
これらの古語は、文脈の中で理解することが大切です。単に意味を覚えるだけでなく、「土佐日記 門出」の中でどのように使われているかを把握しておきましょう。
よくあるテスト問題の例
「土佐日記 門出」についてのテストでは、次のような問題がよく出題されます。
① 文法・助動詞に関する問題
例題:「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」の中の「すなる」「みむ」「するなり」について、それぞれの文法的説明として正しいものを選びなさい。
解説:
- 「すなる」:「す」(動詞「す」の連体形)+「なる」(断定の助動詞「なり」の連体形)
- 「みむ」:「み」(動詞「みる」の未然形)+「む」(意志・推量の助動詞の終止形)
- 「するなり」:「する」(動詞「す」の連体形)+「なり」(断定の助動詞の終止形)
② 主語の補足に関する問題
例題:次の文の( )に入る適切な主語を補いなさい。 「( )我は泣かじ」と言ひし人も、人知れず涙をのごひつつ…
解説:この文脈では、作者自身を指していると考えられます。「私は」という主語を補います。
③ 心情読解に関する問題
例題:「泣くまじき人々も、みな泣きぬべし」と言いながら、実際には自分が涙を流している作者の心情について説明しなさい。
解説:作者は国司という公的な立場にあり、感情を表に出すべきではないと思いながらも、4年間過ごした土佐の人々との別れや旅の不安から、実際には感情が抑えきれず涙を流している。この矛盾した行動には、公人と私人の間での葛藤が表れている。
④ 表現技法に関する問題
例題:「土佐日記」が女性の視点で書かれている理由として考えられるものを答えなさい。
解説:当時、男性は公的な文書を漢文体で書くのが一般的だったが、紀貫之は仮名文による新しい表現の可能性を探るため、また感情をより自由に表現するために、女性の視点を採用したと考えられる。
⑤ 和歌の解釈に関する問題
「土佐日記」全体では、旅の途中で詠まれた和歌も多く登場します。「門出」の場面では和歌は含まれていませんが、他の場面では和歌と散文が交互に現れ、作品に変化と深みを与えています。
例題:「土佐日記」において和歌が果たす役割について説明しなさい。
解説:和歌は登場人物の心情を凝縮した形で表現する役割を果たしている。また、散文と和歌を組み合わせることで、叙述に変化をつけ、読者の興味を引きつける効果がある。
これらの問題に対応するためには、原文の内容をしっかり理解することが大切です。単に単語や文法を覚えるだけでなく、作品の背景や作者の意図、登場人物の心情などを考えながら読み込むことが重要です。
覚え方のコツ|ストーリーで覚える古典
「土佐日記 門出」の内容をしっかり覚えるためのコツをいくつか紹介します。ただ機械的に暗記するのではなく、ストーリーとして理解することで、より効果的に記憶に定着させましょう。
① イメージ化して覚える
抽象的な内容を具体的なイメージに置き換えることで、記憶に残りやすくなります。
- 「女のふりをした男の日記」:この独特の設定をインパクトのあるイメージとして記憶する。例えば、「男性の紀貫之が女性の着物を着て日記を書いている」といった少し奇妙なイメージを思い浮かべると忘れにくい。
- 「泣くなと言いながら泣く」:この矛盾した行動をドラマのワンシーンのようにイメージする。例えば、「涙をこらえようとしながらも、こっそりハンカチで涙をぬぐう貴族」という映像を思い浮かべる。
② 現代の経験と結びつける
古典の内容を現代の自分自身の経験と結びつけることで、より理解が深まります。
- 「旅立ちの場面」:自分が経験した引っ越しや旅立ちの場面を思い出し、そのときの感情と紀貫之の感情を重ね合わせる。「自分も泣くまいと思いながら泣いてしまった経験はないだろうか?」と考えてみる。
- 「公私の使い分け」:学校や部活動などの「公」の場と、家庭や友人との関係という「私」の場での自分の振る舞いの違いと、貫之の公人/私人としての葛藤を比較する。
③ ストーリーテリングで覚える
内容を自分なりのストーリーとして再構成することで、断片的な知識がつながります。
- 「土佐日記」物語:「平安時代、有名な歌人の紀貫之が土佐国の国司として4年間勤務した後、いよいよ都に帰る日がやってきた。彼は公務を終え、急いで出発しようとするが、船の準備は整わず、一日待つことになる。翌日、天候が不安定な中、ついに出発。見送りの人々との別れは感傷的で、『泣くべきではない』と言いながらも、自分自身が一番泣いてしまう—」というように、物語として内容を整理する。
④ キーワード連想法
重要なキーワードを関連付けて覚えることで、記憶の定着が促進されます。
「土佐日記」→「女のふり」→「門出」→「泣くまじき」→「泣く」→「おかしげ」
これらのキーワードを順番に連想できるように練習すると、内容を思い出す手がかりになります。
⑤ 比較対照で覚える
似ている点や対照的な点を比較することで、特徴がより明確になります。
- 「男性の文体」と「女性の文体」:漢文体と仮名文体の違いを対比させて理解する。
- 「建前(泣かない)」と「本音(泣く)」:作者の言動の不一致に注目する。
- 「公的な記録」と「私的な日記」:両者の違いと「土佐日記」の位置づけを考える。
これらの方法を組み合わせることで、「土佐日記 門出」の内容を単なる暗記ではなく、深い理解とともに記憶することができるでしょう。古典は「現代の私たちとは関係ない昔の物語」ではなく、「現代にも通じる普遍的な人間の感情を描いた物語」として捉えることが大切です。
まとめ|「土佐日記 門出」で伝えたいことは「旅立ちと人間味」
「土佐日記 門出」は、単なる旅の記録以上の意味を持つ文学作品です。この作品を通して紀貫之が伝えたかったことは、「旅立ち」という人生の一場面における人間の感情の機微と、公的な立場と私的な感情の間での葛藤という普遍的なテーマだったのではないでしょうか。
この作品の重要なポイントをまとめると:
- 独自の文体実験: 男性である紀貫之が女性の視点で日記を書くという、当時としては革新的な文体実験を行いました。これは後の仮名日記文学の発展に大きな影響を与えました。
- 感情表現の豊かさ: 女性の視点を借りることで、男性貴族としては表現しづらい繊細な感情を描き出すことに成功しています。特に「泣くまじき人々も、みな泣きぬべし」と言いながら自分が泣いてしまうという場面は、人間らしい弱さと矛盾を表現しています。
- 旅立ちの普遍性: 「門出」という言葉には、新しい場所や状況への出発という意味があります。土佐から都への旅立ちという具体的な場面を通して、別れの悲しみや新たな旅への期待と不安という普遍的な人間の感情が描かれています。
- 公と私の狭間: 国司という公的な立場と、一個人としての感情の間での葛藤が描かれています。これは現代人にも共感できる、「立場」と「本心」の間での揺れ動きを表現しています。
「土佐日記 門出」が千年以上経った今でも読み継がれているのは、そこに描かれた感情や葛藤が時代を超えて普遍的なものだからでしょう。旅立ちの場面で感じる不安や期待、別れの悲しみ、そして公的な場面でも漏れ出てしまう本音の感情—これらは現代の私たちの日常にも存在する感情です。
古典文学は単なる「昔の物語」ではなく、人間の本質を描いた「現代にも通じる物語」として読むことで、より深く理解し、自分自身の人生に活かすことができるのです。「土佐日記 門出」を通して、平安時代の貴族も現代の私たちも、旅立ちの場面で同じような感情を抱くという普遍性を感じ取ってください。
発展問題にチャレンジ!
ここでは、「土佐日記 門出」についてより深く考えるための発展問題を用意しました。これらの問題に取り組むことで、単なる知識の暗記を超えた、古典文学の本質的な理解につながるでしょう。
① 紀貫之が「女のふり」をしてまで書いたのはなぜだと思う?
この問いについて考えるためには、平安時代の文学的背景について理解を深める必要があります。
考えるヒント:
- 当時の文学における男性の文体(漢文体)と女性の文体(仮名文体)の違いは何だったのか?
- 紀貫之は「古今和歌集」の編纂者でもありました。彼の和歌に対する考え方は?
- 「女性になりきる」ことで、どのような表現の可能性が広がったのか?
- 現代の小説などでも、作者とは異なる性別や立場の**「語り手」を設定する手法**がありますが、その効果は?
考察例:
紀貫之が「女のふり」をして日記を書いた理由として、次のようなことが考えられます。
まず、当時の文学的慣習として、男性は公的な文書や記録を漢文体で書くことが一般的でした。しかし、漢文体は格式張った表現が多く、個人の繊細な感情を表現するには制約がありました。一方、女性は仮名文を使って日記や物語を書くことが多く、より自由に感情表現ができました。
貫之は「古今和歌集」の編纂者として和歌の本質を「人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける」(人の心を種として、様々な言葉の花が咲く)と表現しています。つまり、文学の本質は「心」の表現にあると考えていたのでしょう。
「女性になりきる」という設定は、当時の文学的慣習から自由になり、より率直に心情を表現するための戦略だったと考えられます。また、自分自身を「女性」という別の人格に託すことで、客観的な視点を確保し、自身の感情や体験を相対化することも可能になります。
現代の文学作品でも、作者とは異なる性別や立場の語り手を設定することで、新たな視点や表現の可能性を開くことがあります。紀貫之のこの試みは、日本文学史上初めての「語り手」の設定と言えるかもしれません。
② 「泣くな」と言いつつ泣いている作者から、どんな心情が読## 【原文】土佐日記 門出|”女のふりした男”が描いた旅立ちの情景
『土佐日記』の「門出」は、平安時代の文学の中でも非常に特徴的な冒頭部分です。まず、原文を見てみましょう。
男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。
それの年の師走の二十日あまり一日の日の午の時に、門出す。かどではるかなり。それの日は、文書きつくして車に乗るれど、なほ、物言ひともなく、いそぎたつ心地のみして、例のごとくすすめたれば、綱手引く人もあへず、舟子どももさわげど、かぢとりもののゆゑしれる人もなければ、えこがず。かかれどつつがなくて、いほりに泊りぬ。かうやうに、おどろおどろしく暮れざらずと思へど、なにしにそこにこもらむ。
またの日、黒き雲おほかれど、「風いささかあり。沖辺はいかなるらむ」と言へど、知らず顔にて、みな乗りて漕ぎ出づ。男も女も、おくる人も、おくられ行く人も、みなおなじごとや思ふらむ、「とまるとまらぬかたへだに行きなむ」と思へり。まことに別れがたく、「しばし、しばし」と言ひて、漕ぎ行くほど、「わすれがたみせむ」「なにをか」と言ひし人は、「泣くまじき人々も、みな泣きぬべし。これをわすれがたみにせよ」と言ふ。「我は泣かじ」と言ひし人も、人知れず涙をのごひつつ、「忘れがたみにはなにかせむ」と言ふも、顔のいとあかかりければ、おかしげなり。さて、おくる人は、帰りぬ。
この原文から、女性の視点で書かれた旅立ちの情景が生き生きと伝わってきます。単なる旅の記録ではなく、別れの情景や作者自身の感情が繊細に描かれています。
何よりも特徴的なのは、冒頭の「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」(男も書くような日記というものを、女もやってみようと思って書くのである)という一文です。実際には男性である紀貫之が、女性になりきって書いているという設定を明かしているのです。
この「門出」の場面は、単なる出発の記録ではなく、別れの悲しみや旅立ちへの決意、人間的な弱さなどが織り込まれた、非常に感情豊かな描写となっています。
【現代語訳】いちばんやさしい訳で読んでみよう
原文を一つ一つ丁寧に現代語に訳していきましょう。
男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。
男性もつけている「日記」というものを、(今回は)女性である私も試しにつけてみようと思って書くのです。
それの年の師走の二十日あまり一日の日の午の時に、門出す。かどではるかなり。
その年の12月21日の午の刻(正午頃)に、出発しました。出発の様子は壮大でした。
それの日は、文書きつくして車に乗るれど、なほ、物言ひともなく、いそぎたつ心地のみして、例のごとくすすめたれば、綱手引く人もあへず、舟子どももさわげど、かぢとりもののゆゑしれる人もなければ、えこがず。
その日は、文書(公務に関する書類)を書き終えて車に乗りましたが、まだ何も話す気にもならず、急いで出発する気持ちだけでいたので、いつものように(出発を)促したところ、綱を引く人も(準備が)間に合わず、船頭たちも騒いでいるけれど、舵を取る理由を知っている人もいないので、漕ぎ出すことができませんでした。
かかれどつつがなくて、いほりに泊りぬ。かうやうに、おどろおどろしく暮れざらずと思へど、なにしにそこにこもらむ。
しかし、(結局は)無事に仮小屋に泊まることになりました。このように、あわただしく日が暮れないようにと思っても、どうして(わざわざ)そこに留まるのでしょうか。
またの日、黒き雲おほかれど、「風いささかあり。沖辺はいかなるらむ」と言へど、知らず顔にて、みな乗りて漕ぎ出づ。
翌日、黒い雲が多かったけれど、「風が少しあります。沖の方はどうなっているでしょうか」と(船頭が)言っても、(私たちは)知らないふりをして、みんな船に乗って漕ぎ出しました。
男も女も、おくる人も、おくられ行く人も、みなおなじごとや思ふらむ、「とまるとまらぬかたへだに行きなむ」と思へり。
男も女も、見送る人も、見送られて行く人も、みな同じことを思っているのだろうか、「(せめて)見える見えないところまでだけでも行こう」と思っているようでした。
まことに別れがたく、「しばし、しばし」と言ひて、漕ぎ行くほど、「わすれがたみせむ」「なにをか」と言ひし人は、「泣くまじき人々も、みな泣きぬべし。これをわすれがたみにせよ」と言ふ。
本当に別れがたく、「もう少し、もう少し」と言いながら漕いで行く間に、「忘れ形見をあげよう」「何をですか」と言った人に対して、「泣くべきではない人々も、みな泣いてしまいそうだ。これを忘れ形見にしなさい」と(誰かが)言いました。
「我は泣かじ」と言ひし人も、人知れず涙をのごひつつ、「忘れがたみにはなにかせむ」と言ふも、顔のいとあかかりければ、おかしげなり。さて、おくる人は、帰りぬ。
「私は泣かないよ」と言った人も、こっそり涙をぬぐいながら、「忘れ形見には何をしよう」と言っていましたが、顔がとても赤かったので、おかしそうでした。そして、見送る人たちは、帰っていきました。
この現代語訳からわかるように、「門出」の場面は単なる出発の記録ではなく、別れを惜しむ人々の様子や作者自身の感情が細やかに描かれています。特に最後の部分では、「泣かない」と言いながらも実際には泣いている人の姿が描かれており、その人間味あふれる描写が平安時代の文学の魅力を伝えています。
文ごとのポイント解説|意味と情景をつかもう
「土佐日記 門出」の原文を、文ごとに詳しく解説していきましょう。文法や語句の意味を理解することで、古文の内容がより深く理解できるようになります。
① 「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。」
【ポイント】
- 「すなる」 → 「する」の連体形に助動詞「なり」が接続した形。「している」の意味。
- 「してみむとて」 → 「して」(し+て)+「みむ」(み+む)+「とて」。「試しにやってみようと思って」の意味。
- 「するなり」 → 「する」+断定の助動詞「なり」。「するのである」の意味。
この冒頭文は、この作品の最大の特徴を表しています。実際には男性である紀貫之が、女性になりきって日記を書くという設定を明かしているのです。当時、男性の文章は漢文体、女性の文章は仮名文体が一般的だったことから、男性である紀貫之が、あえて女性の文体(仮名文)で書くという実験的な試みを行ったことがわかります。
② 「それの年の師走の二十日あまり一日の日の午の時に、門出す。」
【ポイント】
- 「それの年」 → 「その年」の意味。
- 「師走」 → 12月のこと。
- 「二十日あまり一日」 → 「二十一日」の意味。
- 「午の時」 → 正午頃。平安時代の時刻制度では、一日を十二等分し、「午」は現在の午前11時から午後1時頃に相当。
- 「門出す」 → 「出発する」の意味。
ここでは具体的な日時が記されており、日記としての形式を整えています。12月21日の正午頃に出発したという具体的な情報が提供されています。
③ 「かどではるかなり。」
【ポイント】
- 「かどで」 → 「門出」のこと。出発の様子。
- 「はるかなり」 → 「はるか」+断定の助動詞「なり」。「壮大である」「盛大である」の意味。
出発の様子が盛大であったことを表現しています。多くの人々が見送りに来ていたり、準備が大がかりであったりしたことが想像できます。
④ 「それの日は、文書きつくして車に乗るれど、なほ、物言ひともなく、いそぎたつ心地のみして、例のごとくすすめたれば、綱手引く人もあへず、舟子どももさわげど、かぢとりもののゆゑしれる人もなければ、えこがず。」
【ポイント】
- 「文書きつくして」 → 「文書き」+「つくして」。公文書を書き終えて。
- 「なほ」 → 「まだ」「それでも」の意味。
- 「いそぎたつ心地」 → 「急いで立つ気持ち」の意味。
- 「例のごとく」 → 「いつものように」の意味。
- 「綱手引く人」 → 船を引く綱を引く人。
- 「あへず」 → 「間に合わない」の意味。
- 「舟子」 → 船頭のこと。
- 「さわげど」 → 「騒いでいるけれど」の意味。
- 「かぢとりもののゆゑしれる人」 → 「舵取りの理由を知っている人」の意味。
- 「えこがず」 → 「漕ぎ出すことができない」の意味。
この長い文では、出発準備の混乱した様子が描かれています。書類仕事を終えて急いで出発しようとしたものの、船の準備が整わず、適切に舵を取れる人もいないため、すぐには出発できないという状況が詳細に描写されています。
⑤ 「かかれどつつがなくて、いほりに泊りぬ。」
【ポイント】
- 「かかれど」 → 「そうではあるが」「しかし」の意味。
- 「つつがなくて」 → 「無事に」「何事もなく」の意味。
- 「いほり」 → 「仮小屋」「仮設の宿」の意味。
- 「泊りぬ」 → 「泊まった」の意味。
出発の混乱はあったものの、結局は無事に仮小屋に一泊したことを述べています。「ぬ」は完了を表す助動詞です。
⑥ 「かうやうに、おどろおどろしく暮れざらずと思へど、なにしにそこにこもらむ。」
【ポイント】
- 「かうやうに」 → 「このように」の意味。
- 「おどろおどろしく」 → 「あわただしく」「慌ただしく」の意味。
- 「暮れざらず」 → 「暮れ」+打消しの助動詞「ず」の未然形+「らず」。「日が暮れないように」の意味。
- 「なにしに」 → 「どうして」「なぜ」の意味。
- 「こもらむ」 → 「こもる」+推量の助動詞「む」。「留まるのだろうか」の意味。
あわただしく日が暮れないようにと思いながらも、なぜわざわざその場所に留まるのだろうかという作者の疑問が表現されています。急いで出発したいという気持ちが表れています。
⑦ 「またの日、黒き雲おほかれど、「風いささかあり。沖辺はいかなるらむ」と言へど、知らず顔にて、みな乗りて漕ぎ出づ。」
【ポイント】
- 「またの日」 → 「翌日」の意味。
- 「黒き雲おほかれど」 → 「黒い雲が多いけれど」の意味。
- 「いささか」 → 「少し」の意味。
- 「沖辺」 → 「沖の方」の意味。
- 「いかなるらむ」 → 「いかなる」+推量の助動詞「らむ」。「どうなっているだろうか」の意味。
- 「知らず顔」 → 「知らないふり」の意味。
翌日の出発の様子を描いています。天候は良くないようですが、船頭の警告を無視して出発するという旅への強い意欲が表現されています。