「病入膏肓」ってどんな話?
「病入膏肓」は中国の古典『春秋左氏伝』に出てくる有名な故事成語です。晋の景公が重い病気にかかった時に、名医に「もう治療できない」と言われた場面から生まれました。現代でも「手の施しようがない状態」を表す言葉として使われています。
超簡単に!秒でわかる!「病入膏肓」ってどんな話?
むかしむかし、中国に晋っていう国があったんだ。そこの王様が超重い病気になっちゃったの!
それで、すごく有名なお医者さんを呼んだんだけど、お医者さんが王様を診て言ったのが「うーん、これはもうダメかも…」って感じ。
病気が体の奥の奥まで入り込んじゃって、お薬も手術も効かないんだって。それで「病入膏肓」っていう言葉ができたんだよ。
今でも「もうどうしようもない」って時に使う言葉なんだ。宿題を全然やってなくて、明日テストって時も「病入膏肓だ〜」なんて言ったりするよね!
【原文】病入膏肓は治療不可能な病気の代名詞
「病入膏肓」の原文は『春秋左氏伝』の成公十年に記されています。晋の景公の病気を扱った重要な古典文学作品として、後の医学書や文学作品に大きな影響を与えました。この故事は単なる医学の話にとどまらず、人間の限界や運命について考えさせる深い内容を含んでいます。
【現代語訳】いちばんやさしい訳で読んでみよう
原文
晋侯夢大厲,被髮及地,搏膺而踊,曰:「殺余孫,不義。余得請於帝矣,將以晉侯見!」公懼,入于奧。厲氣甚惡,壞戶而入。公覺,召桑田巫。巫言如夢,公曰:「何如?」曰:「不食新矣。」
現代語訳
晋の景公は夢を見た。髪を振り乱した大きな亡霊が現れ、胸を打ちながら踊って言った。「私の孫を殺したのは道理に反する。私は天帝にお願いして、晋侯を連れて行くことになった」と。景公は恐れて奥の部屋に逃げ込んだ。亡霊の気配は非常に恐ろしく、戸を破って入ってきた。景公が目を覚まして桑田の巫女を呼んだ。巫女の言葉は夢の通りだった。景公が「どうなるのか」と尋ねると、「新麦を食べることはないでしょう」と答えた。
文ごとのポイント解説!意味と情景をつかもう
第一段階:不吉な夢
晋の景公が見た夢は、単なる悪夢ではありませんでした。古代中国では、夢は神や霊からのメッセージと考えられていました。
髪を振り乱した亡霊の正体は、景公が過去に殺した人の霊とされています。この亡霊が「天帝に願い出た」というのは、天の裁きを求めたということを意味します。
第二段階:占いによる確認
景公は夢に驚き、すぐに占い師である桑田の巫女を呼びました。古代では政治的な決断の前に必ず占いを行っていました。
「新麦を食べることはない」という予言は、つまり「麦の収穫時期まで生きられない」という意味です。これは死の宣告でした。
第三段階:名医の診断
その後、景公は秦から名医を呼び寄せました。この医師こそが「病入膏肓」という言葉を発した人物です。
医師は景公の病状を診て、病気が膏(心臓の下)と肓(心臓の上)の間に入り込んでしまい、薬も針も届かないと診断しました。
【人物解説】景公と名医の二人の立場と心情を知ろう
景公の立場と心情
晋の景公は春秋時代の有力な君主でしたが、晩年は病気に悩まされていました。夢で死の予告を受け、占いでも同じ結果が出たことで、非常に動揺していたと考えられます。
権力者として多くの人を処刑してきた過去が、精神的な重荷となっていたのかもしれません。死への恐怖と同時に、自分の行いへの後悔もあったでしょう。
名医の立場と心情
秦から招かれた名医は、当時最高レベルの医術を持つ人物でした。しかし、医師としての良心から、治療不可能な病気については正直に告白する義務を感じていたはずです。
権力者に対して「治せない」と言うのは非常に勇気のいることでした。しかし、医師としての誠実さを貫いたのです。
【晋の景公】権力と責任に苦しんだ君主
晋の景公(?~紀元前581年)は春秋時代中期の晋の君主です。在位期間は長く、多くの戦争や政治的混乱を経験しました。
特に重要なのは、景公が過去に行った処刑や戦争が、後に精神的な重荷となったことです。古代中国では、君主の行いが天の怒りを買うと考えられていました。
景公の病気は単なる身体的なものではなく、精神的なストレスも大きく関わっていたと推測されます。権力者としての責任と、人間としての良心の間で苦しんでいたのかもしれません。
【名医】医術の限界を認めた誠実な医師
秦から招かれた名医の名前は史書には記されていませんが、当時の最高峰の医師だったことは間違いありません。
この医師が偉大だったのは、単に医術が優れていたからではありません。権力者に対しても真実を告げる勇気と誠実さを持っていたからです。
「病入膏肓」という診断は、現代でいう「末期癌」のような宣告でした。それでも医師として正直に病状を伝えたのは、医療倫理の原点ともいえる行為でした。
テストに出る語句・問題まとめ
古典の授業や入試でよく出題される「病入膏肓」関連の重要ポイントをまとめました。単語の意味から文法事項まで、テスト対策に必要な情報を整理しています。しっかりと覚えて、古典の成績アップを目指しましょう。
よく出る古語と意味
古語 | 読み | 意味 | 用例 |
---|---|---|---|
病 | やまい | 病気 | 病入膏肓 |
入 | いる | 入る、達する | 病が奥深くまで入る |
膏 | こう | 心臓の下の部分 | 体の奥深い部分 |
肓 | こう | 心臓の上の部分 | 薬の届かない場所 |
厲 | れい | 悪霊、亡霊 | 大厲(大きな亡霊) |
巫 | ふ | 占い師、巫女 | 桑田巫 |
請 | こう | 願い出る、請願する | 請於帝(帝に請う) |
覺 | かく | 目覚める | 公覺(公が目覚める) |
これらの語句は「病入膏肓」の文章を理解する上で重要な役割を果たします。特に「膏」と「肓」は医学的な専門用語として、古代中国の解剖学的知識を表しています。
よくあるテスト問題の例
問題1:語句の意味 「病入膏肓」の「膏肓」とは何を指すか、説明しなさい。
問題2:現代語訳 「不食新矣」を現代語に訳しなさい。
問題3:文法問題 「殺余孫,不義」の「余」は何を指すか答えなさい。
問題4:内容理解 景公が名医を呼んだ理由を、本文の内容をもとに説明しなさい。
問題5:故事成語 「病入膏肓」が現代ではどのような意味で使われるか、具体例を挙げて説明しなさい。
これらの問題パターンを押さえておけば、テストでも高得点が期待できます。特に現代語訳と内容理解は配点が高い傾向にあります。
覚え方のコツ!ストーリーで覚える古典
ステップ1:登場人物を覚える
- 晋の景公(病気になった王様)
- 桑田の巫女(占い師)
- 秦の名医(「病入膏肓」と診断した医師)
ステップ2:話の流れを整理
- 景公が恐ろしい夢を見る
- 占い師に相談すると不吉な予言
- 名医を呼ぶが「治療不可能」と診断
- 結果的に景公は亡くなる
ステップ3:キーワードで記憶
- 夢→占い→診断→結末
- 亡霊→巫女→名医→死
ステップ4:現代との関連付け 「どうしようもない状況」を表す現代語として「病入膏肓」を使う場面を想像してみましょう。この関連付けにより、古典の内容が身近に感じられます。
まとめ|「病入膏肓」で伝えたいことは「医術の限界と人間の運命」
「病入膏肓」の物語は、単なる医学の話ではありません。人間の力の限界と、避けることのできない運命について深く考えさせる内容です。現代医学が発達した今でも、この故事成語が使われ続けているのは、人間が直面する根本的な問題を扱っているからでしょう。古典を学ぶことで、時代を超えた普遍的な人間の姿を理解することができます。
発展問題にチャレンジ!
より深く「病入膏肓」を理解するための発展的な問題です。これらの問題に取り組むことで、古典の読解力だけでなく、思考力や表現力も身につけることができます。しっかりと考えて答えてみましょう。
① 景公が感じた「恐怖」とはどんなものか、説明してみよう
問題の意図 この問題は、景公の心理状態を多角的に分析する力を問います。単純な恐怖ではなく、権力者としての複雑な心境を理解することが重要です。
回答例 景公が感じた恐怖は、単純な死への恐怖だけではありませんでした。まず、夢に現れた亡霊への恐怖がありました。これは過去の行いに対する罪悪感から生まれた恐怖です。
次に、占いと医師の診断が一致したことによる運命への恐怖がありました。どんなに権力を持っていても、運命には逆らえないという無力感です。
最後に、君主としての責任を果たせずに死ぬことへの恐怖もあったでしょう。国を治める使命を全うできない焦りと不安が、恐怖を増大させていたと考えられます。
② 「膏肓に入る」という表現から読み取れる、古代中国の医学観を考えよう
問題の意図 古代中国の医学的知識と世界観を理解し、現代医学との違いを考察する問題です。
回答例 「膏肓に入る」という表現からは、古代中国の精密な解剖学的知識が読み取れます。心臓周辺の複雑な構造を理解していたことがわかります。
また、病気を「入り込むもの」として捉えていた点も興味深いです。現代のウイルスや細菌の概念に近い発想があったと考えられます。
さらに、「薬石の効なし」という表現から、当時既に薬物療法や針治療が発達していたことがわかります。しかし同時に、医術の限界も明確に認識していました。
古代中国では、病気を単なる身体の不調ではなく、精神や運命とも関連する複合的な現象として捉えていたのです。
③ 「運命」とは何か、あなたの考えを四百字程度でまとめてみよう
問題の意図 古典の学習を通じて得た洞察を、自分の言葉で表現する力を問う問題です。
回答例 「病入膏肓」の故事を通じて、運命について深く考えさせられました。運命とは、人間の意志や努力では変えることのできない、あらかじめ定められた道筋のことだと思います。
景公は権力者として多くのことを成し遂げましたが、最終的には病気という運命の前に無力でした。しかし、この物語で重要なのは、運命を受け入れる過程で人間がどう行動するかということです。
名医は治療不可能と知りながらも誠実に診断し、景公も最期まで君主としての責任を果たそうとしました。運命は変えられませんが、その運命に向き合う姿勢は選択できるのです。
現代を生きる私たちも同様に、避けられない困難に直面することがあります。そのときに大切なのは、運命を嘆くのではなく、与えられた状況の中で最善を尽くすことだと考えます。